tanijiri makoto
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2011年 09月 23日
□少し前になりますが、新建築 住宅特集のコラムで書かせて頂いた文章、僕にとっては人生で最も長い文章を書かせて頂きました。って、それほど長くないのですが話すことは出来ても書くことは苦手なので、なかなか大変でしたが、いま思えば書かせて頂いたことで自分を振り返る良いきっかけでした。
そんなわけで、ここでみなさんにも読んで頂ければと思ったので、よろしければどうぞ。 □経験の中から学ぶという仕事 僕が子供の頃、過ごした実家は間口4メートルの奥行き25メートルの典型的な鰻の寝床の町屋で、傘をさして台所へいき、風呂は五右衛門風呂、夜のトイレは肝試し、冬の寒さは尋常ではない家で幼少期をすごしました。 夕方になれば遊びを中断して、お風呂をわかすために家に帰らなければならなかったことや、あり得ない勾配の階段を落ちた経験や、家の中で雨や雪の降る状況など、普通に考えればあきらかに不便な家でした。 そんな生活が嫌で、幼い頃は大人になったら綺麗で便利なお城を大工さんになって建てるんだと、よく話していたものです。 今思えばとても風情のある空間での生活だったと思うことができるようになったし、思いかえしてみれば町屋独特の風の流れで夏でも必ず涼しいところがあったので、そこでお昼寝をしたり、季節の変化が手に取るようにわかる外部が近い関係にあったし、けっして明るい室内ではなかったことで明かりの大切さや、刻々と陽が暮れていくことを感じることができたりと、いまこうして自分が設計という仕事をしていく上では、むしろ本当にそんな家で生活出来たことが、とても大きな経験だったんだと、良かったと思えるようになりました。 そんな自分の経験がいまの自分の考え方の背景にあるように思うのです。 2000年6月どこへ進むべき道なのか、全く解らないスタートでした。 それが自分で事務所を始めた時の素直な気持ちで、いまでもそれはわかっているつもりになっているだけのことかも知れません。 設計をするということが、なにから手をつけて良いのかさえ解らなかったのです。 解らないなりに、建築雑誌を読みあさったものの、あまりにも自分とはかけ離れた世界が目の前にはあり、あこがれと共に、建築という世界への距離感さえ感じていたのは確かでした。 それでも説明のできない建築への思いは日に日に募るばかりで、寝ても覚めても建築雑誌を、何度も何度も読み返していました。 どう作っていいか解らない状況ではあったのですが友人には恵まれ、谷尻が独立したらしいよと、友人たちは知り合いの方が店舗を新しく改装するという話などを、ことあるごとに相談を持ちかけてくれたのです。 どう考えていくべきなのか、どう作るべきなのか、そんなことを考える余裕もなく作らなければならない状況が目の前にはあり、 必死で話し、必死で作り方を工務店の社長や、職人さんに聞きながらつくる日々が過ぎていきました。 つくったことのないアパレルのショップや、カフェ、美容院など、全てが初めてのことばかりで、その都度話し、聞き、調べ、作る、ただただそれを続けていました。 そういう日々の中で、ふと気づいたことは向き合い方が、とても大切だということでした。 つまりは自分に経験がないことが目の前に訪れたとき、経験がないからあきらめるのか、出来る方法を考えるのかでは未来が違ってくるということを。 今活躍している世界の建築家は最初から大きな建築をつくっていた訳ではなく、つくる場面に直面したときの向き合い方が、誠実であったからこそ、きっと未来へのタスキが渡されたのではないかと。 だからこそ多くの初めての出来事に出会った時、けっして背をむけることなく、目の前にあることに誠実であるべきだと自分に言い聞かせながら、少しづつ自分の出来ることを増やしていきました。 最初のうち、正直に言えば建築の大学を出ていないことやアトリエでの経験がないことが、とてもコンプレックスだったし、誰かと自分を比べてばかりで、自分に自信をもつことなど出来る余地さえなかったのですが、スポーツを通して学んだことですが、自分のプレイスタイルを確率するということを建築と重ね合わせて見たときに、考え方を変えてみれば、大学で建築教育を受けていないからこそ辿り着ける思考があるはずですし、また建築への思いという点においては、世界の誰よりも自分の方が絶対にあるはずだ、などと自分を励ましながら、そしてまわりにいる人に助けられながらも、建築というものが少しづつ理解できるようになっていきました。 幸いにも多くの仕事に恵まれ、多くの建築をつくって行く中で、建築という足跡が社会に残っていくことの意味の様なものを考える様になっていきました。 クライアントの要望をかなえ、予算を調整し、スケジュールをあわせていく、そんな物事を整理していくことは仕事としてとても大切なことですが、その中でも更に目の前にある問題の解決だけではなく、もっと問題提議をしていくべきなのではないかと。 建築をつくるということで、自分は社会になにを伝えることができるのか、自分には大きすぎる問題かも知れないけどそういう意識の中で、建築に向き合いたいと思いはじめたのです。 建築に興味を持つということは、視覚はもちろん、聴覚、触覚、味覚、嗅覚さまざまな感覚と建築の関わりを考えるということですから、建築以外のものとの関わりについて考えることでもあって、日常の中にある多くの要素と建築との関わりが発見できたときの喜びは、何にも代え難いものでした。 そういう視点を発見してからというもの、本当に毎日が楽しく、そして刺激的な日々に変わりました。 そのような、生活のすぐそばにある建築という存在の魅力を、もっと世の中の人々に興味を持って貰うことができたり、建築家がどれだけ深い思考を巡らせ建築をつくっているのかということを、少しでも多くの人に伝えていくことであったり、少しでもなにかが良くなっていくことを、自分なりに表現していくことを心に決めたのです。 自分のまわりには僕を教育してくれる人が沢山いて、例えば工務店の社長は、なぜこの計画なのか、なぜこういう構造なのか、なぜこの材料なのかと、いちいち聞いて来るんです。 最初のうちは、それに上手く答えることができない自分がいて、もちろんプロジェクトとしてはクライアントにOKをもらってすすんでいるのですが、まるでもう一つ砦が用意されているかのようで、何度もプレゼンが通らなければ建築をつくることができないような状況がありました。 そういう繰り返しのなかで、ものを決めていくという意味のようなものを考える事ができるようになりましたし、またそれをどう伝えていくべきなのか、何を見せるべきなのか、何からみせるのか、つくる事だけでなく、その背景にあることももちろんですが、考えた事の伝え方も非常に大切だと思うようになりました。 本当に毎日がトレーニングで、現場に行っても、指示をすることだけでなく、自分が作りたい建築についての考え方などを職人さんに話したりしていたものです。 設計や現場監理という仕事をしていると、ついつい図面通りにつくることばかりに目がいきがちですが、本当に大切なのは、自分だけでなく、そのプロジェクトに関わってくださる皆さんに、設計の意図を伝えることで、自分たちがどこを目指しているのかを示唆する音楽でいうならば指揮者のように、つくっていくための環境自体をも、設計していく仕事なんだと思います。 建築はけっして一人では作って行くことができない、多くの関わりを設計していくような行為です。 だからこそ、人とのコミュニケーションの重要性を学ぶことが出来ましたし、そういう意識をもって設計に携わっていくべきだということを現場に関わって下さる皆さんから学ぶことが出来ました。 事務所をはじめて、もう少しで11年になります。 当初、どこに自分が向かうべきか解りませんでしたが、いまは建築家として頼まれた事だけではなく、自ら身の回りの、ものやことについて、もっとどうすれば建築が、街が、人が、良くなっていくことを無意識に考える様になっている自分がいます。 2011年3月11日、日本を襲った東日本大地震による大きな不安が社会にある状況だけど、いまだからこそ被災地の方々の 気持ちは理解しながらも被災地にいない僕たちは、より経済活動を行うことで支援できる環境自体を設計していくべきなんだと思います。 このような出来事があったからではなく、いつなんどきも目の前にある環境に対して、良い方向への指揮がとれるような、そんな設計のできる建築家でありたいと強く思うのです。
by supposebiyori
| 2011-09-23 12:14
| 考え事
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Comments(1)
Commented
by
ぐる
at 2011-09-23 15:22
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谷尻さんを初めて知ったのはテレビでした
雲も所有してしまおうという家にとても共感してしまったのと、境遇が類似していたので観た時は強烈な印象でした わたしは絵や写真をしている者ですが、美大も出ていない留学もしていない等々‥コンプレックスがあります まだ完全に拭えてはおりませんが、葛藤の中もがいている最中です 今回のブログを読んで、今一度、自分の方向性を考える機会を頂けました また向き合えます 勿論感謝を忘れず、自分だけではなく周りに居て下さる方々全てを含めて、です! ありがとうございました
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